「神のものは神に」  04.11.07
               ルカ20:20〜26

 イエスさまを陥れるために、ローマへの税金を巡る問いをする者が
いました。イエスさまは<皇帝のものは皇帝に、神のものは神に
返しなさい>とお答えになりました。これは、陥れるための問いを
うまくかわした答えというよりも、この世での生き方について語り
かけてくださるイエスさまからの御言葉です。

 人々は、ローマの支配下で生きていました。それが現実でした。
デナリオン銀貨に皇帝の肖像が刻まれているように、人々の
生活の隅々にも皇帝の支配力が及んでいます。人々の目には、
皇帝の支配がはっきり見えていました。しかし、イエスさまは、
皇帝ではなく、「神のもの」があるのではないかと迫ります。
 「神のもの」。 それは何のことでしょうか。皇帝のものである
デナリオン銀貨には、皇帝の像が刻まれていますが、神の像が
刻まれている神のものは何でしょうか。ここで、創世記1:27の
御言葉を思い起こします。
 神にかたどって創られた人は、まさに神のものであることを
思い起こすのです。皇帝のものではないのです。
 「皇帝」のように人を支配するように見える力は、時代や状況に
よって姿を変えます。政治的なことに限らず、経済的なこと、
社会的なこと、肉体的なことなど、様々な厳しい現実の数々に
自分が支配されているかのように感じる事もあるでしょう。
 そんな私たちに「神の像が刻まれているあなたは、神のものだ。
 皇帝でなく神のものとしてこの現実の中で生きられるのだ。」と
迫ってくださるのです。
 自分が神のものであることをしっかり知るときに、この世の生活
(皇帝のものを皇帝に)も確かになっていきます。
 <神のものは神に>との言葉は、イエスさまの決意が込められた
言葉でもあります。この時イエスさまは、十字架に向かって進んで
おられます。
 人に刻まれている神の像は、罪ゆえに消えかけていました。

 イエスさまは、人の罪を拭い去り、人に刻まれた神の像を
鮮明にするため十字架に向かわれました。
 私たちは、十字架ゆえに、自分が神のものであることを
信じています。